カーネーション展示衣装メモ
「テレビドラマ博覧会」の2010年代の部屋にあったワンピースのコーナーに付いていた説明文を一部控えて来ました。
他の資料にあったものかもしれませんが。
*カーネーション*
「糸子と綾野剛演じる周防との道ならぬ恋も話題に。、、プログレッシブカメラを使った生地の質感が伝わる映像も美しい」
一部抜粋ですがそんなに大きくない説明文の中に周防さんの事が書いてあり嬉しかった。
周防さんを違う人が演じていたら前編を通してかなり違う空気の作品になっていたんだろうな。
プログレッシブカメラの話はトークショーの中でも花びらの話のところ?でも出てきた。
*水玉ワンピース*
「デザインした大田垣妙子氏によるとデザインも記事も糸子のモデルとなった小篠綾子さんの作品とほぼ同じとのこと」
*サーモンピンクのワンピース*
周防さんに恋する糸子が自分のためにデザインしたワンピース。
「サーモンピンクの女性らしいワンピース。Vネックのシャープさを和らげるためにグレーのスエードのリボンをあしらったデザイン」(大田垣妙子氏)
「尾野真千子が語るテレビドラマ『カーネーション』を中心に」-3
シーン3
これは外せないでしょうと周防さんのシーン。
『ぽっかり空いた大きな穴に大変な人が入ってきてしもた。うちは悲しいんやな。いとこが周防さんに告白をする朝、工場でのおいもすいとっとまで』
(ああ、舞台の奥の壁に動く周防さんの映像ですよ、胸熱。🔥)
*周防さんのキャスティングについて
ヒロインオーデションのほかに男の子の小さいオーデションもあった。そこで何人か選んで順番にキャスティングした。綾野くんの事はみんなイイと言ったがイメージに合う役がなかったがどこかで使おうと残していた。「そんなにイイなら周防さんで良いんじゃないですか?」と渡辺あやさんに言われて決まった。本当は周防さんのモデルはマッチョな人だった。
渡辺あやさんに会わせたのだが会ってはいなく、 NHKの食堂で城谷さんと綾野くんが話しているところを渡辺あやさんが見るという方法だった。
(マッチョな人だったらどうなっていたのかねぇ、良かったよ、あの周防さんで。あと男の子のオーディションという言い方がツボ)
周防さんが長崎弁なのはプロデューサーが長崎だから。
*尾野さんと綾野くんはmotherで共演ですね。
「長崎弁に緊張していた。お互いこの役でよかったねと話した。motherで共演していたので仲はよかった」
もっと周防さんの話もしたいのですが次のシーンへ(岡)
シーン4
夏木マリさんにバトンタッチする前の最後のシーン
『自宅の2階の窓辺で北村と話している。東京に進出するのかと言う話でうちは大阪で生きていくと言う』
*このシーンで小野さんが自分から「最後にミシンを触りたい」と言ってきて、台本に無かったがポスターと同じ感じで撮ろうかとなって急遽増やした。
尾野さんにとって「カーネーション=ミシンだっから」
そのシーンで美術、照明に「糸子の背後には照明だよ」と言われ沢山の照明があたっている。
*佐藤直樹さんの音楽がまたいいんですよね。
(今でも佐藤さんのサントラが番組の中のBGMとして結構使われているのをこの日のお3人は意外とご存知ないかもよ)
シーン5
岡室さんが「もう一つ用意したシーン流せますか」とスタッフに聞いてもう一つ、ミシンとの出会いのシーン。
『娘時代の糸子がパッチ屋の前を通りパッチ屋を覗いて初めてミシンを見て衝撃を受ける。帰りに橋を渡りながらミシンはだんじりやと言う。団扇を持ってだんじりに乗るイメージ映像』
*窓にへばりつく糸子は?
「ト書き通りにやりました。カーネーションの台本はト書きも細かく書いてある。セリフも一字一句台本の通りにやっている。ト書きが細かいので台本に書き込みはしなかった、きれいなまま」
*糸子は植物、岸和田に根を張って花を咲かせる物語。
*なぜタイトルがカーネーションなのか?
お母さんのイメージ。
三女のサトコがイギリスから帰ってくるときにカーネーションを持ってくる。これは実話。それもある。
また“なんでカーネーションなのかな”と思わせるのも狙い。
*だんじりに乗るイメージ映像はなぜ?どう?
台本にそう書いてあったから。
まだ最初の方だったので黙ってやってくれていた。
「なぜここだけあの雰囲気なのか納得していない」
*薫さんのビンタについて
「本当にやってくださいと頼んで薫さんと2人で決めたが本当に痛くてモミジになってしまいスタッフが慌てて冷やしに来た。直ぐに次のシーンも撮らないといけなかったので。」
(モミジ、放送見てわかりましたよね)
「いつも大体本当にやってもらうのだがあのシーンではその方が周りの子供たちが本当に驚くから芝居としていいんじゃないかと言うことも理由」
*最後に、1番印象的なシーンは?
(尾)「(凄く考えた後に)初回の子役の糸子と歌を歌うシーンのレコーディング(苦手、時間が掛かった)」
田中さんが尾野さんがオンチだったとバラす。「オンチではない」と反論するが、実際予定以上に何度もレコーディングをして時間がかかって皆んなでご飯を食べに行かれなかった。それを頑張って編集して繋いだと。
(田)「デパートのシーンが割と好き」
最後の挨拶で尾野さんは丁寧に「大好きな作品です。皆さんこれからもカーネーションを宜しくお願いします」というような挨拶でした。
イベントが終わり退場の時、剛さんならば最後は手を振って礼節の礼で退場ですが、今日の尾野さんも途中までは岸和田の団扇を振りながらにこやかにはけつつ、最後に客席に向かって立ち止まり「何か言いたげ」。ん?とお客さんが拍手を止めると生声で「いっちょいで〜」!と言ってくれました。わーん。1人なのに「わっ」て声出た。糸ちゃんの「生いっちょいで」。最後に糸ちゃんらしい最高のプレゼント貰えた。
尾野さんはお芝居も素晴らしいけどこんな気の利いたことを自分からしてくれる人柄な所もとても素敵。尾野さんのいる現場はこんな感じなのでしょう。
良い作品を作り上げて今でもその作品を大切にしている人達の中に入れて幸せな時間でした。
カーネーション大好きで溢れる素敵なイベントだった。♡
「尾野真千子が語るテレビドラマ『カーネーション』を中心に」-2
登壇者:尾野真千子
田中健二(NHKディレクター)、
舞台下客席に城谷厚司(NHKプロデューサー)たまに話を振られて補足。
聞き手:岡室美奈子(演劇博物館館長)
ということで、岡室館長の進行で進んでいきました。
この岡室館長ですが、前々から早稲田に息子さんが通っていた知人より「カーネーションに熱い方」ということを聞いていました。本当に熱かったです。
何度も「カーネーションが好きすぎて」と自分で言っちゃってます。
そう、これは表題に「カーネーションを中心に」って言っちゃってるくらいにまるごとカーネーションのイベントでした。
「カーネーションは朝ドラ革命」だそうです。
無料チケットで先着順の席だったので、並びの列が始まっているのを知って入場の30分前くらいに私も並びまして、G列を確保、肉眼でちゃんと見える席でした。
ではメモを清書しながら補足していきます。見た目は気にしないでね。内容もちょっと違うかもよ。
「」は尾野さんの発言内容。
()は私の感想
他は室岡館長と田中さんの発言より。
尾野さんはトーク中はイントネーションとかずっと関西弁でした。
*ケンちゃん、糸ちゃん
田中さんと尾野さんはお互いを今はそう呼び合うほどの仲。
とはいえ、それは今だから、撮影中は撮影もタイトで時間も限られていてそれなりに大変だった。時にはムッとすることもあった。
*尾野さんにとってカーネーションは?
「映画に出たいという思いで上京したが、やがて親孝行がしたくて朝ドラにも出たくなった。
しかし、年齢制限に引っかかる年齢に達していたのでオーディションを受けることもあるし、受けられないことも多くて数年受けていなかった。」
「出演作品はどれも「宝物」だけど、カーネーションは「プレミアム宝物」だ。」
そのあとのやり取りでカーネーションは尾野さんを視野に入れて20-30歳に年齢制限を広げたという話が出てきた。岡室さんは知らずに聞いてしまったのだけど、途中から田中さんがちょっと話しづらい感じに。
ただし、最終審査で審査員が10人だか11人だかで一人1票、渡辺あやさんのすすめはあったけど、あやさんも1票の権利だと。
決め手は、関西弁でワーッとしゃべるセリフがダントツで良かったからとのこと。
渡辺あや×尾野真千子の過去作「火の魚」の関係性があるので、「カーネーションを中心に」ではあるけど、この後もちょこちょこ「火の魚」のワードも出てくる。
*「登場人物で勘助が一番好きだった」
登場は途中までだけど、ずっと勘助のことは考えていた。
*他の機会で尾野さんはカーネーションで演技をしなかったと聞いたがそれは?
「糸子が自分に似てると思ったので途中から演技をする事をやめた、そのままやった」
ここから5つの映像(結構長い)を見てトークの繰り返し。
シーン1
『勘助に負けて悔しがるところからお父ちゃんに「学校をやめてパッチ屋に行け」と許されるまで。』
*泣きのスイッチはどうやって?
それまで普通にしているのにワーッとスイッチが入って泣けるのが凄いと関係した人が皆んな言う、それはどうやるの?と聞かれて・・
答えたくないなという感じで「企業秘密です」。
でも「直前までセリフのことも何も考えないようにしている、泣きのシーンは泣けるか自分も心配だけど、本番が始まった時にやる」←ニュアンス
(するとそれが周りもビックリな程の泣きになるのだそう。誰かさんみたいだよ。)
シーン2
『戦争でいろんな人が亡くなるが泣けなかった。だんじりを見に行きそこで一気に「負けへんで」と泣き崩れる。』
*子供に手のひらに乗せられた赤い花びらの意味。(←なんだったかな、、)
*泣き方も含めて年齢相応になってますね。
*だんじりの前で泣くシーンのロケではもう放送が始まっていたので周りに100人ほどの見物人がいた。
*人が見てる中での演技はどうですか?
*「(空襲シーンで子供2人を両脇に抱えるのは)東京に出てくる前の地震で姉がそうしていたのが印象的でそれを使おうと思った」
「尾野真千子が語るテレビドラマ『カーネーション』を中心に」-1
さて、この前に演劇博物館で間近に尾野真千子さんを見ていた私ですが、そこで見た時の印象はバラエティに出ているときの気さくなイメージよりも「きれい、スポットライトが当たっているみたい」でした。
髪はストレートにさらさら、動くたびにさらさらっと動きます。
黒いワンピースは襟元は空き過ぎず上品な丸首、ノースリーブの上半身はタイト、腰から下はひざ下までの上品なフレアー、前と後ろそれぞれに金の飾りで縦の装飾が左右に入っていて、シンプルだけど、品が良くて上質な感じでした。
テーブルで足はそんなに見えなかったけど、壇上で椅子に座っても奇麗に見えるスカート丈を選んだのでしょうね。
目の前を通った時には香水のイイ匂いがしましたよ~。
カーネーションのワンピースの展示の前で記念写真を撮って、すぐ横の「最高の離婚」のパネルも見ていました。
最後は演劇博物館の前で車に乗り込まれたそうです。
「河内の大杉」へのアクセス
【ヘアピンカーブやら林道やら】
ドラマ「フランケンシュタインの恋」の印象的な大杉、とても素晴らしいのですがここに行くのはかなり大変です。
舗装されてはいるものの車1台通れるだけの林道をかなり走ることになります。普段身の回りの買い物位しか車を運転して居ないような主婦が綾野愛だけで自力で行ったら大変なことになりますよ。林道なのでバスもありません。まずはドライバーの確保から。
【ナビに頼るなら】
ナビで探すにも地図もハッキリしないし番地も無いですね。ナビには「沼津市民の森」を取り敢えず入れると良いと思います。
【主なルート?】
行き方は沼津西浦側からか修善寺側からかになりますが、うちのドライバーは修善寺側から行きました。修善寺虹の郷→伊豆国際CC→達磨山レストハウスその後林道に入ります。達磨山が一番近いWCポイントだと思います。
林道ではこの向きで走ると右側に横道と看板の様なものが立って居ます。ここだけ2〜3台停められるスペースがあるので車はここに停めて山に入れます。
帰りはそのまま走り→市民の森(がありますが基本キャンプ利用者しか入れません)→駿河湾側に抜けます。(逆ルートでも大丈夫)
【行けばほぼ貸切】
そんな訳で、『ドラマで話題だしお天気良いし日曜日』なのに、大杉は貸切状態でした。まず、道幅の狭い不安な林道なのに車が前後にも居ないし前からも来なかったです。
実はうちが到着した時に1台止まって居てその車のお父さんだけが杉から戻って来たのと、うちが出て一度来た方角に行きまた戻った時にどこかですれ違った車が止まって居たのですが、兎に角日曜日なのにそんな感じです。ホンモノの聖地ですね。ww
入院中の様子①
私は大部屋でした。
その病棟は耳鼻科と別の科の患者さんがいて、そのもう一つの科の都合でナースコールとは違う別の機器の音が(鳴りっぱなしでは無いけど)ナースステーションから昼夜の区別無く鳴り響いていた。(最初に入った時に看護師さんに言われてるから諦めるしか無い)
あと部屋のドアは閉めないシステムなので、そのいろんな音やら耳の遠い患者さんに話しかける看護師さんの大きな声も丸聞こえ。
耳栓持ってきて良かった‼️
個室頼んで無いし、自分も調子悪くて良く眠れないし、自分もナースコールするからお互い様で仕方ないです。
とにかく、耳栓は必要。
鼻洗い
退院の時にこれを渡されて500mlの生理食塩水で鼻を洗う指導をされ1日2回やってます。
術後最初は鼻をかめないし、これするとオオオッて血液混じりの鼻水が出るので凄くやりがいがあるしスッキリ。(最近は出血は無いから物足りない)
その時に使う4.5グラムの小分けの塩も退院の時に渡されて、始めはペットボトル使って居たけど洗いやすく乾きやすい入れ物の方が良さそうなので本日100均でこちらを購入。
大きめだけどメモリ付いてるから500作りやすいんじゃないかな。ペットボトルと同様くらいの安定感はあるし、いずれ不要になっても他の用途でも使えるかな。
しかし、この指導は手術になる前にしてくれても良さそうなものだと思った。
ま、だとしても面倒でやらなくなりそうだけど。実際にやらないと「生理食塩水なら鼻に通しても鼻が痛くない」って信じられないし。
術後の診察1回目、終わりました。
次は2週間後。
朝早い時間に予約入れて貰えるから待ち時間少ないのは助かります。
飲み薬も1カ月分処方されていて、まだ術後のケアは続く。